売上ほぼ0の工場を継いだ二代目スイーツ工場経営者が、最初に取り組んだ5つのこと
toroaの代表、株式会社フードクリエイティブファクトリーのイガゴーです。
コロナ禍で取引先がもれなく閉業して売上ほぼ0で工場の後継になりました。
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今回は売上ほぼ0から取り組んだ5つのことを振り返ります。
下請けをやめて独自にブランドを作った
元々の工場は飲食店の下請で、ソースやご飯ものを製造卸がメインでした。
飲食店が顧客なので仕入価格も厳しい世界です。コロナで取引先がパタっとなくなり窮地になりました。私は「下請仕事に依存していたら、この工場は持たないぞ」と直感しました。
下請仕事を全部やめるのは勇気がいるし、事業承継した意味の大半を失います。
それでも特定の取引先に依存するのは大きなリスクなのです。
私自身、この会社を運営して14年目。
広告代理店や制作会社の下請でレシピと料理写真をひたすらに作って納品してた時期がありました。
新しいもの好きのマーケティング業界、いい仕事をしても仕事はパタっと止まるなんてよくあります。
自転車操業に苦しんでいたので、今回は最初から自転車操業になるループを断ち切る決断ができました。
今の時代に価値を求められるブランドを作ろう、と考え私たち自身に原体験がある「忙しく働く大切な人にくつろぐ時間をギフトする」スイーツのブランドを作ることを決めたのです。
このスケッチがtoroaの最初の構想です。
フルスロットルで働く女性が「オオオオォォォ」って書類を仕上げていて、トロンとした口溶けのスイーツを食べた時に宇宙と同化してくつろげる。そしてまた明日から頑張れる、っていうストーリーを描きました。
馬車馬の如き下請時代に働いていた自分達にはなかったものがtoroaでしたね。当時忙しさに狂ってしまった反動で会社を週休5日にしましたから。その話はまた別の機会に。
多くの人にはスイーツのブランドなんて似たように見えるかもしれません。
toroaは自分達の原体験がそのままブランドのストーリーとコンセプトになってるから、想いが込められるんですよね。
同じ境遇の人にtoroaを届けたい想いが。
不要な備品を全部捨てた
事業承継前は、なんでも作る工場だったので、本当に色んな資材や食材や道具がありました。
そのせいで広々としたスペースが非効率に使われてたんですね。
洗い場で洗ったゴムベラを返すのに30歩歩くとか、導線が悪くて。
コーチングの世界では意図した新しい結果を手に入れるために、今握ってるものを手放すという観点があります。濁った空気、積もった在庫を手放すことで、堺から世界に羽ばたくスイーツを作ることをコミットしました。
先代が大事に育ててきた工場をただ維持するだけでは面白くない、圧倒的な挑戦をしてその過程をシェアすることでファンのみなさんにも楽しんでいただこう!と思ったのです。
そして冷凍庫とテーブル以外のほとんどを捨てました。
いやー先代もびっくり圧巻の断捨離!
捨てたら結構工場がボロいんですよ。トイレも和式。
当時は22歳の女性新卒社員を東京で採用したので、22才女子が清潔な工場で気持ちよく働けるように全面リフォームしました。
職人の肌感覚を計測・標準化
先代の希望で先代創業者の職人を継続雇用しました。
日本料理一筋でしたが、スイーツも勉強すると熱い想いをいただき、共同で商品開発を進めてきました。
昔の日本料理の世界は目と手で見極める文化があり、何分煮るなど数値化されないと廣瀬さんと同じものを作ることができません。
そこで徹底的に数値化にこだわりました。
焼き時間は秒単位で管理、冷蔵庫に寝かせる時間など、ルール作りとルールを守らせることを徹底しました。
当時ClubHouseが流行ったので、私も事業承継に取り組む方々と話をすると元々いた職人とのすれ違いが一番問題があると聞きました。ルールを作り説明するとはじめは快く聞いてくれることも「守らせる」となると話が変わってきます。
高圧的な書き方になってしまうのですが、衛生、安全、期待値を上回れるおいしさを提供しなければお客様が去ってしまい仕事は無くなります。
一人の勝手でルールを守らないと、一生懸命ルールを守る社員が幸せになれません。
絶対に守るよう、軋轢が生まれても伝え続けました。
嫌われるのが辛くないといえば、嘘になりますが、それでも事業を継いで経営を担う人間として言わなければいけない時に躊躇してはいけない、という決意ではっきり伝えるようにしています。
半年間、空家賃を払ってリノベーション&商品開発
工場を継いでから半年間は売上ゼロでした。
断捨離、リフォーム、商品開発に6ヶ月かけて準備してます。
というのも私も製造業に知見がなかったし、職人もスイーツが初めてでした。
工場は冷暖房がないのでとんでもない暑さになるし、冬はとんでもない寒さに。
全てを整えてから発売しないと、商品が売れたとしてもよくないサービスは評判を下げるので空家賃払ってでも土台を整えました。
とろ生ガトーショコラのとろっとした質感を出すための配合は、東京のキッチンでは作れても大阪で職人が作ると全然イメージと違う出来になってしまって、本当に毎日毎日やり取りして4ヶ月がかりでした。
大変だったなぁ。
何が違うのか、なぜ同じにならないのか、オーブンの癖を判断したり、材料費がかなり高い商品なのですが1日中間違った出来でメディア関係者に配布するサンプルを焼いていて全部廃棄になったり。やりとりは相当疲れました。
コミュニケーションを中心にデジタルシフトした
コロナ禍ということもあり、とろ生ガトーショコラは、東京の商品開発スタッフが大阪に向かうのではなく、大阪ー東京をリモートで繋いで試作をしました。
70歳の先代職人と大阪ー東京間のリモートで商品開発をするのはかなり大変で、うちのPCがMac BookでPCの操作をテレビ電話で教えながら、作業を教えるという難題でした。
Slack、ECカート上の作業、発送発注用の作業、クラウド上にあるデータのやり取りを教えてコミュニケーションラインを築きました。
商品開発や製造計画のやりとりなど、LINEだけでやってたら管理できません。
結果今はSlackとDropboxとGoogleドライブとテレビ電話は難なくできるようになりました。
この作業も毎日大変だったけど、70歳からでもMacやSlackやGoogleドライブが使えるようになる廣瀬さんの挑戦に私自身もたくさんの気づきを得られ勇気をもらいました。
これまで色々ありすぎて振り返るのも一苦労でした。
今は振り返り期なので、ひと段落したら「今」のtoroaとこれからのtoroaをもっとリアルタイムに近く伝えていきたいですね。